眩い光線を放つ球体が容赦なく襲いかかり、船体を激しく揺さぶる。
(この二人、あの球体を無傷で倒す方法を知らないみたい。まあ、二日前には人喰い花を何とかしたんだし、何とかなる……はず)
激しい衝撃が思考を断ち切る。凄まじい振動と共にフロントガラスが弾け飛び、鋭利な破片が無重力の空間を舞った。気密が破れた。
「夢美さん! ガラスが……! 気密漏れは大丈夫なんですか!?」
「気密性は外に出たら考えるわ。ここでは心配ないから」
余裕めいた夢美の声に、耳を疑う。
「どういうことですか? 心配ないって……」
「メデアさん、宇宙空間では呼吸できるのよ。魔法の空間だから、肺を使わなくても大丈夫なんだって。アストラル体を通して、体がエネルギーで満たされるらしいわ。チャクラの理論は知っているわよね?」
操縦桿を握りしめながら、夢美は淡々と答えた。
(……無茶苦茶な理屈ね)
「ええ、知っています。それなら、あの球体を何とかする方法を思いついたんですが……。ただ、私の魔力はガラスを通過できないから、直接触れなきゃいけないんです」
夢美とちゆりが顔を見合わせる。
「まさか、宇宙空間に出るつもり!? 何の保護もなしに!? 正気なの!?」
答えの代わりに、エアロックの傍らに置かれていた自転車にまたがった。あの地獄の荒野を走った遺産が、再び空飛ぶ乗り物にでも形を変えてくれることを期待して。
しかし、残ったガラスに新たな亀裂が走る中、車体はわずかに明滅しただけで、ただのスポーツ自転車のまま沈黙した。
それを見たちゆりが目を輝かせる。
「すっげー! メデアさんって魔法使いだったんだ! 後で魔法教えてよ! 私もブラスターなしで弾幕撃ちたいんだ!」
「ごめんなさいね、ちゆりちゃん。私、戦闘用の呪文は一つも知らないの。故郷では召喚魔法と防御魔法が専門だったから……」
再び警報音が鳴り響き、照明が落ちる。数秒後、非常電源の不吉な赤い光が灯った。
「メデアさん、いい考えがあるなら急いで! 宇宙に出る準備はいい? 魚雷はまだ三つあるから、後ろは任せて」
夢美が決意に満ちた声で告げる。
「わかりました。やってみます」
エアロックが開き、漆黒の虚空へと放り出される。
一切の音が消失した世界だった。真空の海でペダルを漕ぐという狂気じみた行為。頼りないゴムタイヤが虚空を踏みしめるたび、圧倒的な質量の差を持つ巨大な構造物と不気味な暗黒物質の群れが迫ってくる。破壊の衝撃音は鳴らない。ただ、ハンドルを握る両腕に、空間を揺るがす破壊の振動だけがビリビリと伝わってくる。
「ギンエヴェラ・トラティル・グオンガ! シエ・アクシェ・オッラ!」
腹の底から呪文を紡ぐ。車体の周囲に展開された防御リングが、迫り来る致死の熱線を鏡のように弾き返した。
(うまくいったみたいね)
だが直後、反射しきれなかったエネルギーの余波がフレームを激しく揺さぶる。視界がぐにゃりと歪み、無重力の洗濯機に放り込まれたかのように天地が反転した。辛うじて船体に接触して体勢を立て直すと、後方から放たれた魚雷が闇を引き裂き、黒い球体を粉砕していく振動が肌を打った。
防御リングの輝きが薄れ、焦げた衣服の匂いがヘルメットもない鼻腔を突く。残る球体がパニックを起こしたように乱射した光線が、背後の船体を激しく打ち据えた。船は大きく軌道を逸らし、絶望的な速度で遠ざかっていく。
必死にペダルを踏み込むが、宇宙の闇に吸い込まれていく船の光は遠い。容赦なく降り注ぐ熱線が肌を焦がし、防御リングは今にも限界を迎えようとしていた。
まったく、誰が幻夢界でこんな無茶な飛び方をするのかしら。メデアの死をもう一度見るのはごめんだわ。あの時も本当に不快だったもの。今回くらい、彼女がここにいる間にほんの少し手を貸してあげても、誰も文句は言わないわよね?
突然、視界を埋め尽くそうとしていた最後の球体が、内側から弾け飛ぶように爆散した。衝撃波を受けて自転車が急加速し、目前に生じた空間の裂け目へと否応なく吸い込まれていく。
強烈な重力に引かれながら振り返った視界の隅を、鮮やかな緑の髪の房が、一瞬だけふわりと掠めた気がした。
***
魔界。その言葉がもたらす響き以上に、大気は濃密で甘ったるく、静電気のような魔力が肌をピリピリと刺した。
裂け目を抜けた瞬間、猛烈な重力加速度が全身を押し潰しにかかる。鼓膜を圧迫する風切り音。眼下には、異質な生態系を思わせる森や、鏡のようにきらめく水面が異常な速度で迫り上がってくる。肺を満たすのは酸素とは異なる未知の成分。そして、肌を焼くような強烈な熱線が、高高度であるにも関わらず容赦なく照りつけていた。
(ちゆりたちの船はどこ……!? 私を探してくれているの……? それとも、私が探すべき……?)
虚空を蹴るばかりで、自転車は全く制御を受け付けない。
圧倒的な熱量を持つ巨大な天体の引力に魂ごと吸い寄せられるような、絶望的な落下の感覚。反射的にローブの奥から魔導書を引き抜こうとしたが、吹き荒れる突風に車体ごと煽られ、紙片を握りしめるのが精一杯だった。
防御呪文を編み出す暇すらない。迫り来る凍てついた大地に、全身が激しく叩きつけられた。
***
意識を取り戻した時、全身を包んでいたのは矛盾した感覚だった。
背中から伝わるのは、熱を根こそぎ奪い去っていくような氷点下の冷気。それなのに、冷え切った頬を撫でるのは、どこか郷愁を誘うような、穏やかで柔らかなぬくもりだった。
音は全て分厚い雪の壁に吸い込まれ、シンと静まり返った空間に、微かな金属の擦れる音と、ガラス瓶が立てる硬質な響きだけが規則的なリズムを刻んでいる。鼻をくすぐるのは、乾燥したハーブの鋭くも甘い香り。
(……ここは、一体……?)
ゆっくりと身を起こす。激突の痛みは残っているが、骨に異常はない。ふとローブの内側に手を入れると、肌身離さず持っていたはずの魔導書も、護符も、見当たらなかった。
「ねぇねぇ、それ見せて見せてー! なんだかヤバいビートを感じる護符じゃない! 街に持っていって鑑定してもらおうよ!」
「……ねぇ、ユキ。これも見て。キラキラしてる……コインかしら。無駄な装飾ね」
「うーん……魔界でこんなお金の響き、聞いたことないわ。もしかしてこの人、別世界から来たニューフェイスなのかな?」
「…………」
「シーッ! マイ、静かに! この人、起きちゃうわよ!」
氷の作業台越しに、二つの気配がこちらを振り向く。
「歓迎するわ、異邦人さん。この凍える世界へようこそ!」
満面の笑みを浮かべた少女が、弾むようなステップを踏みながら距離を詰めてきた。
「私はユキ! こっちの愛想がないのはマイよ。外の世界の新しいビートが、ちゃんとここまで届いたじゃない!」
一方で、作業台の奥からこちらを一瞥したもう一人の少女は、冷え切った空気をさらに凍てつかせるような、刃物のように鋭く冷酷な声を放った。
「……私たちは魔女よ。あんた、何者? どこから落ちてきたの?」
その声は、背中を合わせている氷の壁よりも、はるかに冷ややかだった。
[SYSTEM ALERT: 音響兵器デプロイ完了]
▼ 本章の絶望を1000%味わうための専用聴覚データ ▼
■ YouTube:『Fire in the Snow』