第46章 思いもよらない未来

エリスが翼を広げて舞い上がると、オゾンの鼻を突く鋭い匂いと、何かが焦げるような熱気が冷たい石造りの空間に充満した。

青白い雷撃と琥珀色の火花が頭上で激しく交錯し、薄暗いヴォールト天井を暴力的なまでに照らし出す。ステンドグラスを透過する厳かな赤い光は、炸裂する魔法の閃光にかき消され、張り詰めた空気がビリビリと肌を刺した。味方であるはずのエリスが浮かべる狂気じみた笑みは、この戦闘の異常性を際立たせていた。

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(二人の戦いは……互角みたいね。でも、エリスは容赦ないわ。巻き込まれたらひとたまりもない)

メデアはクリソプレーズを強く握り込み、喉のチャクラに意識を集中させて防御の盾を展開した。飛び交う無数の弾幕が盾に激突し、凄まじい衝撃となって腕に伝わる。弾き返し、吸収するたびに、集中力が根こそぎ奪われそうになる。

エリスの巧みな攻防に対し、天使の攻撃は次第に苛烈さを増していった。ついに天使が両手に圧縮した光の球を放つが、すでに背後を取っていたエリスの虚を突き、光球は空を切って石壁に激突し、無数の破片となって降り注いだ。

白熱する死闘を背に、メデアは盾を維持したまま回廊を抜け、階段を駆け上がる。

(サリエルって大天使が、聖なる狩りを始める前に、急がないと)

階段を上る途中、唐突に、全身を粟立たせるような強烈な羞恥心が押し寄せてきた。

(身に覚えがないわ。この感情は……私のものではない。もしかして、近くにいるオレンジの感情?)

混乱を振り払い、上層階のホールへと足を踏み入れる。

そこは、ステンドグラスから差し込む夕暮れのような暖光に満たされた空間だった。だが、肌を刺す空気は墓所のように冷たい。

中央の吹き抜けには、奇妙な無重力状態が支配していた。重力から解放されたオレンジが、まるで生贄のように静かに虚空に浮かんでいる。意識を手放しているためか、その姿はルイズの容貌を寸分の狂いもなく模倣し、完全に定着していた。

彼女を囲むように、幾つものガラス玉が走馬灯のように浮遊し、それぞれが異なる時空の記憶を内包してゆっくりと回転している。

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吹き抜けに近づくと、メデアを取り囲むように球体が降下してきた。そこに映し出されていたのは、神殿の風景ではない。過去の断片だった。

自室、魔法陣、図書館。幻想郷、地獄、魔界。

次々とフラッシュバックする光景の中で、一際大きく禍々しい赤黒い光を放つ玉が目を引いた。

燃え盛る炎に包まれた廃墟。見慣れた家、そして……故郷の町全体が業火に呑まれている。

(まさか……これは、未来? それとも、もうすでに起こってしまったこと?)

「いいえ。それは、起こりうる未来の一つに過ぎません。ですが……非常に可能性の高い未来でございます」

静寂を切り裂く、冷え切った声。

振り返ると、圧倒的な威圧感が空間そのものを押し潰すように立ちはだかっていた。

衣擦れの音さえ吸い込まれるような、完全な静寂。

背後のバラ窓から差す光が後光のように輪郭を縁取り、ただそこにあるだけで、人間という存在を根本から拒絶するような絶対的な神性を放っている。感情の欠落した冷ややかな瞳が、侵入者を静かに、だが確実に死の淵へと見定めていた。

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「あなたは……大天使サリエル様、ですね?」

「メデアよ、汝は罪の道に足を踏み入れました」

厳かで、逆らうことなど到底不可能な響きだった。

「あの……サリエル様。麻薬の売人から盗みを働いたり、よくわからない肉を食べたりしたくらいで、罪悪感なんて感じませんけれど」

メデアは本心を隠し、少しだけ挑発的な態度で応じた。

「汝は盲目です。間違った場所で己の罪を探しておられる。その考えは……あまりにも浅はかでございます。取るに足りない世俗的な行いによって、汝が破滅を迎えることはないでしょう」

「サリエル様が、私の考えの深さを知るというのでしょうか? もう少し具体的に説明していただけませんか」

サリエルは音もなく距離を詰め、囁くように告げた。

「メデアよ。汝の力によって、汝自身の世界を滅ぼすことになるでしょう。わたくしの言葉を覚えておきなさい。そして……それを起こしてはなりません」

「警告、感謝いたします。ですが、なぜそれが起こるのかは、教えていただけないのですね?」

問いかけは無視された。視線を戻すと、ルイズの姿をしたオレンジは未だ宙に浮いたままだ。

「せめて……あの娘を解放していただけませんか? 彼女はルイズではありません」

「わたくしは、この娘を捕らえてはおりません。自由であり、自らの意志でここに留まっているのです」

(本当かしら。サリエルの言葉……素直には信じられないわね)

「……せめて、彼女と話をさせてください」

「わたくしは、この娘を捕らえてはおりません。これでお別れです、メデアよ」

宣告と共に、サリエルは幻のように空間から消失した。

冷たい空気に満ちたホールに取り残され、ゆっくりと降りてくる記憶の玉を見つめる。

(一体、これからどうなるというの? あの業火は……私の故郷が?)

下層階からの爆音も、いつの間にか止んでいた。

吹き抜けの手すり越しに、虚空のオレンジに呼びかける。

「オレンジ、聞こえる? 私よ、迎えに来たわ」

反応はない。完全に硬直している。

(どうやって降ろせばいいのかしら。飛べない以上、どうにもならない。エリスは無事なの?)

下に向かって叫んだ。

「エリス! 大丈夫?」

反響するだけで、返答はない。

(仕方ないわ。弾幕で落とすしかないわね)

魔力を極限まで絞り込み、オレンジの足首を正確に狙い撃つ。小さな衝撃が命中し、糸の切れた人形のように身体がゆっくりと傾き、落下を始めた。

(まずい。受け止めないと)

床に叩きつけられる寸前、焦げ臭い風と共にエリスが舞い降り、オレンジを抱え込んだ。音もなく着地し、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「あの天使ったら、いい気味! 散々弾幕浴びせてやったわ!」

「天使は苦手なのね、エリス」

「大っ嫌い! 羽と『聖なる精神』以外、能がないんだから。主要チャクラがサハスラーラだったくせに、あんな弱虫見たことないわ。それじゃあ、街に戻ろっか? もう夕方だし」

気を失ったままのオレンジを抱え、二人は重苦しい神殿を後にした。

神殿周辺の起伏に富んだ青い大地へ出ると、極彩色に発光する奇妙な植物が毒々しいコントラストを描いていた。まるで物理法則が狂ったようなポップでシュールな風景は、場違いなほどのどかな空気を漂わせている。

草むらにオレンジを寝かせ、肩を揺すろうとした横から、エリスの容赦ない平手打ちが飛んだ。乾いた音が響く。

「ざまーみろ! 偽物とはいえ、ずーっとハニー・ルイに一泡吹かせてやりたかったのよ!」

「痛っ……!」

オレンジは顔を歪めながら目を覚まし、身を起こした。

「オレンジ、大丈夫? 私よ、メデア」

「メデたん!」

痛みを忘れたように表情を輝かせ、オレンジは勢いよく抱きついた。

「エリスにもお礼を言って。オレンジを助けるために、私以上に頑張ってくれたのだから」

熱烈な抱擁をそっと引き剥がしながら促す。

「あれ、まだルイズの姿なんだ? 本当は全然違うの。もっと可愛いんだから!」

オレンジはそのままエリスにも抱きついた。

「さすがメデっち、面白い友達持ってるわね。アタシはエリス。神出鬼没のエリスって呼ばれてんの」

「なめちゃダメなオレンジよ! よろしくね! ねぇ、メデたん! 話したいことが山ほどあるの! まずね、門に行く途中で小兎姫に捕まっちゃって、無理やり魔界に連れてこられちゃって……!」

矢継ぎ早にまくし立てる話は支離滅裂だったが、大筋はすでに推測できていた。

(まあ、この子はいつもこんな感じね)

町へ向かって歩き出す直前、足元の草むらで異質なプラスチックの反射を捉えた。滑らかなチューブ型の容器。拾い上げると、間違いなく夢美の宇宙船から持ち出した練乳だった。

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(ということは、宇宙船はすぐ近くに墜落しているはず。もう少し探したいけれど……)

ポケットに隠し、辺りを探索しようとしたが、

「この辺りは野生の悪魔だらけだから」

とエリスに急かされ、三人は魔都市へと足を踏み入れた。

「……えーっ!? そうなの!? じゃあ、メデたんは魔界の超ヤバいバケモノと戦ってたの!? わたしも手伝わせてよ! ねぇ、お願い!」

道中、これまでの経緯を聞いたオレンジが大興奮で騒ぎ立てる。

乾いた石畳の路地に入ると、両側から迫る灰色のレンガ壁が閉塞感を煽る。路地の奥からは夕暮れの暖かな光が漏れていたが、手前の冷ややかな空気との境界に、場違いなほど完璧な造形の少女が立っていた。

陶器のような肌とサテンのドレス。薄汚れた路地に落ちた精巧なビスクドールのように、無垢で静的な瞳が、底知れぬ奇妙な緊張感をもってこちらを見上げている。

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エリスが気軽に声をかけた。

妖奈あやな、今一番安い宿、どこにあるか知ってる? 今日は一人じゃないから、外で寝られないのよ」

見下ろしてくる三人を見つめ返し、妖奈は淡々と答える。

「『人間の味わい』なら空いているお部屋があると思うわ。お休みの日は、たまにそこに泊まっているの。一泊二千シンキだけれど」

「高っ! 一人なら絶対泊まらないわ」

顔をしかめたエリスが、ふと思い出したように尋ねた。

「そういえば、神綺様は最近どうしてる?」

「すっかりお部屋に引きこもっていらっしゃるみたい。アリス様のことばかり考えているんだって」

「そう……かわいそうにね」

妖奈と別れ、少し歩いたところでメデアは尋ねた。

「今の子は?」

「パンデモニウムのメイドよ。知り合いだけど、友達ってほどじゃないわね。あいつ、真面目すぎるから。あ、そうだ!」

エリスが楽しげに指を鳴らす。

「アリスよ、アリス!」

「アリス……?」

「アリス・マーガトロイド! パンデモニウム襲撃の、もーっと良い計画を思いついちゃった!」

話が見えず首を傾げるオレンジをよそに、エリスは目を輝かせた。

「ねぇ、メデっち。レティん家では、迷子ちゃんになりきってたじゃない。他の人の真似もできそうでしょ?」

「アリスを演じろと言うの? 神綺が恋しがっている、あのアリスを?」

「その通り! メイドには許されないことが、愛する娘には許されるのよ。アリスは魔界で育ったんだけどね、パンデモニウムでなんか事件があって、何も言わずに幻想郷に行っちゃったみたい。それ以来、神綺様ったら……ちょっとおかしくなっちゃって」

「だとしても、どうやってなりすますの? 見た目が違いすぎるわ」

「見た目は変えてあげる。図書館で呪文を見つければいいのよ。ついでにオレンジの顔も元に戻せるしぃ。ただ、図書館は朝にならないと入れないから、明日ね。……この計画、どう?」

「いかにもエリスらしい、悪くない提案ね。ただ、明日は別の予定があったのだけれど……。少し考えさせて」

「考えて考えて。見た目を変えたくないなら、ただのメイドに変装すればいいんだし。あ、そうだ! 部屋を借りるから千シンキ払ってね」

「待ちなさい」

メデアは間髪入れずに遮った。

「ユキから、町にある家を使っていいと言われているわ」

「鍵、持ってんの?」

「いや、そんなものは……」

「じゃあ、まずは鍵を取りに行きな! でも、あの魔女たちったらアタシのこと嫌いだから、一緒には行かないわよ。ってか、鍵なんか壊して侵入しちゃえばいいじゃない?」