何世紀もの間、魔界の氷雪世界は凍えるような静寂に包まれ、幾度となく魔法の決闘の舞台となってきた。雪に覆われた山々や谷は、通常の弾幕から破壊的な呪文まで、あらゆる魔法を試すのにうってつけの場所だった。熱帯の気候を誇る魔界に、このような異質な自然現象がどのように出現したのかを知る者はほとんどいない。だが、この雪原の存在自体が、かつて何者かが行った恐ろしい魔法実験の結果であるという根強い噂がある。
今日もまた、骨の髄まで凍えるような空気が、差し迫った戦いの予感でひそやかな熱を帯びていた。三人の魔女、二人の学者、そして二人の妖怪がこの地に集結した。魔界ではありふれた、取るに足らない争いに決着をつけるためだ。
(……これほど矛盾に満ちた世界を創り出した神綺とは、一体どんな存在なのだろうか)
穏やかで慈悲深い創造主なら、楽園を創造し、そこに天使を住まわせるだろう。悪意に満ちた神なら、煮えたぎる業火の地獄を生み出すかもしれない。それにしても、多様性と野蛮さを併せ持つ魔界を創造した彼女は、何を考えていたのか。
神綺は自らの世界と、そこで生まれた子供たちを深く愛していたという。だが、なぜ魔界は純粋な悪魔でさえも生き残るのが難しい世界なのだろうか。多くの者がこの疑問を抱え、答えを求めて苦悩した。誰一人として明確な答えを見つけることはできず、多くはエールやワインでその苦しみを紛らわせるしかなかった。知らぬが仏なのだ。
ユキとマイの聡明な瞳を見れば、彼女たちがそのようなタイプではないことは明らかだった。ユキの場合は一目瞭然だったが、マイの場合はプライドの高さが邪魔をして、その真意を見抜くには時間がかかった。一方、レティの瞳からは何も読み取れなかった。そこには宇宙の真理も、単純な感情も存在しない。ただ、オレンジに氷塊のように重くのしかかる執念だけが感じられた。
この不毛な争いを止めようと、静かに口を開く。
「レティさん。その子はあなたが探しているルイズではありません。オレンジという名の妖怪で、私の仲間です」
だが、空気がわずかに揺れただけで、レティの表情は微塵も変わらない。吹雪よりも冷たい視線が、ただ一点、オレンジだけを射抜いている。
「ユキ、マイ! オレンジがルイズじゃないって、知ってるでしょ? レティに言ってよ!」
ユキは困ったように眉をひそめ、視線を彷徨わせた。
「ごめんね、メデア。でも私たち、このセッションには関わりたくないの。その子がルイズじゃないって証拠、どこにもないんだもの」
「そうなの! メデたん、放っといてー! オレンジのこと、泥んこガエルって思われてもいーの! あの雪女がそんなに戦いたいって言うなら、いつでも相手になってやるんだからー!」
オレンジの無軌道な勢いに、思わず頭痛を覚える。オレンジとレティは数メートル離れて向き合い、軽く会釈を交わした。決闘の始まりだ。
二人が雪を巻き上げて空高く舞い上がるのを見送り、マイへと視線を向ける。
「わかりました。決闘、受けて立ちます。これでいかがですか?」
ポケットから、練乳のチューブを取り出して見せた。
マイは興味深そうにチューブを受け取り、氷のように冷たい指先でそれをくるくると回しながら眺める。
「……何これ」
「魔法薬の希少な材料ですよ。テトラヒドロカンナビノールまで抽出できるとか。魔女のあなたたちにとっては、喉から手が出るほど欲しいものでは?」
マイはチューブをユキに放り投げ、イグルーから離れるように目で合図した。
「行くわよ。強い方が勝つ。絶対零度の解を見せてあげる」
冷淡に言い放つと、軽くお辞儀をして翼を広げた。だが、まだ飛び立つ気配はない。
ポケットから青い卵を取り出す。昨夜手に入れた奇妙な飛行機械を思い浮かべると、魔法のようにそれが手の中に現れた。
(……人生で二度しか見たことのない奇妙なジェット箒で、空中戦をやらされる羽目になるとは。まったく、オレンジめ。私が上手に飛べるなどと、誰が言ったのかしら)
マイに返礼としてお辞儀をし、空を見上げた。そこには、点のようにしか見えないほど高く舞い上がったオレンジとレティの姿があった。二人は激しく旋回しながら、すでに弾幕を撃ち合っている。
箒の長い柄を両足の間に挟み、数歩走り出すと、機械仕掛けの翼が轟音を立てて回転し始めた。次の瞬間、魔法のノズルが青白い炎を吹き、鼓膜を劈く駆動音と共に急上昇する。下を見ると、電光石火の速さで飛び立ったマイがかすかに見えた。
頭上からは肌を焦がす魔界の太陽、足元からは肺を凍らせる極寒の風。狂った温度差が生み出す暴風が、鋭利な氷の破片を四方八方へと撒き散らしている。
荒れ狂う嵐の中、マイは無重力の真空に浮かぶように静止し、無機質な瞳でこちらを見下ろしていた。
強風に煽られ、ジェット箒の制御が乱れる。その隙を突き、マイが頭上を掠めた。間髪入れず弾幕を放つと、彼女は回避すら試みず、攻撃をまともに受けながら氷の刃を撃ち返してくる。
(一つでも操作を誤れば、終わりだわ……!)
喉のチャクラから魔力を引き出し、クリソプレーズの盾を展開する。だが、それは致命的な悪手だった。防御に魔力を割いたことで箒の制御を失い、さらに展開した盾は、容赦なく降り注ぐ氷柱の雨の前に紙屑同然に貫かれる。
全身を貫く鋭い痛み。制御不能となったジェット箒は急速に高度を下げ、そのままイグルーの屋根へと激突した。雪原に叩きつけられる寸前、追撃の余波でバランスを崩したマイもまた、同じように落下していくのが見えた。
激しい耳鳴りと共に、視界が白くかすんでいく。意識が遠のくのを必死にこらえる。
「メデアさん! 大丈夫!?」
遠くから、ちゆりの声が聞こえる。
「……なんとか……」
声にならない声が、雪に吸い込まれていく。
「顔が真っ青だよ! しっかりして!」
耳鳴りが遠のき、ようやく意識が戻る。ゆっくりと起き上がろうとすると、ちゆりが駆け寄って支えてくれた。
「すごい操縦だったよ! まるでジェットパイロットみたいだった。あんな動き、初めて見た。……でも、負けちゃったのか。残念だったね」
ちゆりは肩をポンと叩き、残念そうに言った。
少し離れた場所で、ユキがマイの翼についた雪を優しく払っていた。マイは満足げに微笑むと、こちらへ歩み寄ってくる。
「なかなかやるじゃない。そこの弱虫どもとは違うみたいね。一瞬だけ、私の計算が狂うかと思ったわ。……でも、結論は変わらない。あんたの動きは無駄が多すぎる。もっと最短距離で勝負を決めるべきだったわね」
息を整えようとするが、再び視界がかすんでいく。
「もう一つアドバイスしてあげる。あんたの防御は計算違いもいいところね。喉のチャクラの盾じゃ、私の氷の弾幕には歯が立たないわ。……まあ、いい教訓になったでしょ? また勝負したくなったら、いつでも相手してあげる。……それじゃあ、さっさと立ち去りなさい、弱虫ども」
「……弱虫? 今、なんと?」
ピタリと、夢美の動きが止まった。そのひどく低い声に、空気がピンと張り詰める。
「貴様ら全員、弱虫だと言ったのよ。何か文句でも?」
マイは冷たく言い捨てる。
「この私を……岡崎夢美を、弱虫呼ばわりするなんてね。いいわ、この忌々しい氷雪世界ごと木っ端微塵にしてあげる! これからここは灼熱地獄よ。ちゆり、爆破装置の準備!」
激怒した夢美は、ポケットからリモコンを取り出すと、ためらいなくボタンを押した。次の瞬間、彼女の足元に十字架の形をした巨大な装置が現れた。夢美と同じくらいの大きさの、禍々しい機械だ。
マイの瞳に冷たい闘志が宿る。ユキは慌てて彼女の腕を掴み、飛び出さないように抑え込んだ。
「ちゆり! 役立たず! わかったわ、私が一人で全部焼き尽くしてやる! メデア、ちゆり、宇宙船に逃げなさい! 早く!」
夢美は十字架を雪に突き刺し、リモコンの赤いボタンに指をかけた。
吹雪の冷気を強引に押し退けるように、暴力的なまでの熱波が膨れ上がる。バチバチと空気を焦がすプラズマの放電音が雪原に響き渡り、オゾンの鼻を突く異臭が立ち込めた。吹き荒れる強風に煽られながら、一切の理性を投げ捨てたかのような殺意の波動が、屹立する巨大なエネルギーの塊へと注ぎ込まれていく。
ガァンッ!!
鈍く、重たい金属音が雪原に響き渡った。
赤錆のツンとした匂いが鼻を掠めたかと思うと、先ほどまでの荒れ狂う激情は嘘のように消え去り、恐ろしいほどの静けさが場を支配した。
夢美は雪の上に倒れ伏していた。
背後には、ひどく錆びついたパイプ椅子を片手に、涼しい顔のちゆりが立っている。
「……えーっと、ちょっとやりすぎちゃったかな?」
ちゆりは悪びれる様子もなく椅子を畳み、手品のように元の場所へ片付けた。
夢美はしばらくの間、雪の上で突っ伏していた。
「……うう……頭が……」
ゆっくりと起き上がり、キョトンとした表情でちゆりを見つめる。
「……あれ? 私、何してたんだっけ……? ちゆり、一体何が……?」
マイがたまらず大声で笑い出す。夢美は、状況が飲み込めないまま立ち上がり、マイとユキに深く頭を下げた。
「失礼しました。それでは、これで……」
夢美はそれだけ言うと、ちゆりに支えられながら宇宙船へと歩き始めた。その後を追う。雪に突き刺さっていた赤い十字架は、蜃気楼のように跡形もなく消えていった。
***
「あれ? オレンジは?」
ふと、周囲にオレンジの姿がないことに気づく。
「さあ……。決闘が終わったら、レティと一緒にどっか行っちゃったみたい。レーダーじゃ追跡できないや」
ちゆりはレーダー画面を操作しながら肩をすくめた。
宇宙船に戻ると、人工的な温かい空気が迎えてくれた。ローブを脱ぎ、ちゆりに背中の傷を見せる。軽い凍傷とあざがいくつかあり、る~ことが持ってきた薬を塗ってもらった。塗った瞬間、背中に焼けるような痛みが走ったが、すぐに嘘のように引いていった。
昼食後、ちゆりと共にオレンジを探しに町へ向かった。一体どこへ行ってしまったのか、また何かやらかしていないか、気が気ではない。ビデオ録画とレーダーの記録を分析した結果、オレンジとレティは街の方角へ飛んで行ったことが判明したため、宇宙船は魔都市の郊外に着陸した。
(あの時の夢美は……本当に怒り狂っていたわね。まさか、ちゆりにパイプ椅子で殴られて沈黙するとは……)
治療を受けている間の出来事を思い出し、小さく息を吐く。
(……でも、夢美は打撃を受けたことなど気にも留めていなかった。あの二人、本当に奇妙な関係だわ)
相変わらず、夢美はちゆりに小言を言っていた。宇宙船の置き方が悪い、ゴミを片付けない……。いつもの光景だ。ぶつぶつと文句を言いながらも、何かの計算に没頭しているようだった。
ちゆりと共に宇宙船を降り、魔都市の郊外へと足を踏み入れる。ちゆりはレーダー画面をチラチラ見ながら、点滅する緑色の光点を確認している。横には数字とラベルがずらりと並び、いかにもハイテクな雰囲気だ。
「あの変な子、この辺りにはいないみたいだね」
郊外の家々が見えてくると同時に、耳をつんざくような叫び声が聞こえてきた。ちゆりはすでにブラスターを構え、音のする方へ一目散に駆け出した。
(……また始まった。きっと、何か死にかけの生き物を見つけて、また夕食にしようとしているのに違いないわ)
呆れたようにため息をつきながら、その後を追う。
しかし、悲鳴を上げたのは魔界の野獣などではなかった。
血溜まりの中に、小柄な少女が倒れていた。
見覚えのある顔だ。駆け寄り、顔を確かめる。
(……妖奈! 昨日、エリスと街で会った、パンデモニウムのメイド……!)
むせ返るような焦げ臭さと土埃の匂いが、空気を重く淀ませていた。背後からは火災を思わせる息苦しい熱気が迫り、足元からは場違いなほどの冷気が這い上がってくる。この狂った温度差が、残酷なまでの異常事態を肌に突きつけていた。逃げ場のない切迫感だけが、重たく、そして真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。
「妖奈! しっかりして!」
肩に手をかけ、声を張る。
「神綺……様……」
妖奈はか細い声で呟いた。
「……アリス様が……戻って……」
反応は薄い。ドレスの襟元に手を伸ばすと、布はまるで彼女の皮膚と一体化しているかのように硬く、びくともしない。無理やり引き剥がそうとすると、ひどく焼け爛れた皮膚が露わになった。ちゆりは言葉を失い、凍り付いたように立ち尽している。
「……もう……ダメ……。私……知りすぎた……あなたたち……彼女を……止めて……」
妖奈はそれだけ言うと、ゆっくりと瞼を閉じ、二度と開かなかった。
ちゆりと顔を見合わせる。言いようのない不安と怒りが、冷たい塊となって胃の腑に落ちた。一刻も早くこの世界から逃げ出したかったが、夢美の宇宙船はハイパー燃料を失い、魔界からの脱出は不可能だ。
(……一体、どうすれば……)
脳裏に、堕ちたる神殿で見た、未来を映し出す球体が浮かんだ。もう一度あの神殿へ戻り、サリエルに未来を予言してもらえば、何か解決策が見つかるかもしれない。……それとも、妖奈が最期の言葉で告げた
「アリス」。一体、彼女は何を知ってしまったというのか。
(……いや、もう待っていられない。パンデモニウム……。あの場所には、きっと全ての謎を解き明かす鍵が隠されているはずだ)
[SYSTEM ALERT: 音響兵器デプロイ完了]
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■ YouTube:『Relics of the Red Horizon (赤い地平線の遺物)』