第23章 角と菊の花

地獄。見渡す限り、乾ききった錆色の荒れ地が広がっている。目や鼻、肺の奥底にまで微細な塵が入り込み、絶え間なく吹き荒れる熱風が容赦なく肌を叩きつけてきた。魔法が封じられているせいか、それとも単にこの環境が劣悪すぎるのか、いずれにせよ長居したい場所ではない。そんな不毛の大地に、静かなる神殿は異物のようにそびえ立っていた。コンガラはここを、この狂った世界の道徳における最後の砦だと信じて疑わないらしい。そしてこの場所で、かつて無敵を誇ったという静かなる軍が、来るべき戦いに向けて息を潜めている。

(一体、何が目的でこんな場所にまで足を運ぶ羽目になったのかしら)

肺に溜まった砂埃を吐き出すように、小さく息を漏らす。一刻も早くここを抜け出す算段をつけなければ、メデアもあの亡霊兵士たちと同じように洗脳され、額に「罪」の烙印を焼き付けられてしまうかもしれない。この薄暗い箱庭に永遠に囚われるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ。

己の清らかさを誇示したがる人間ほど、他者を罪人に仕立て上げたがるものだ。コンガラのあの狂信的な振る舞いには、正直辟易する。おまけに、あの三人の少女たちはその偏執狂の好意を得ようと、「誰が最も優れているか」などというくだらない競争に興じているのだから救いようがない。

(いや、あの茶番には付き合わないでおきましょう。私にはもっと有意義な任務があるのだから)

果てしなく続く倉庫のような冷たい石の廊下を抜け、ようやく目当ての図書室へと辿り着いた。埃っぽく、むせ返るような古い紙とカビの匂いが漂う半地下室。しかし奥へ進むと、予想以上に広大な空間に、石造りの本棚が整然と並んでいた。何百もの巻物、木簡、革表紙の石板。そのどれもが、未知の知識への渇望を刺激してくる。中央ホールから拝借してきた松明で油ランプに火を灯し、さっそくこの宝の山を漁り始めた。

古代の巻物や中世の書物など、言語は多岐にわたっていたが、大半は全く見たこともない象形文字のような代物だった。以前、遺跡の地下で見かけた文字と似た気配を感じる。

(少し待って。この世界に転移した時、言語の壁はフレデリカの魔法が自動的に翻訳してくれていた。なら、この文字だって……)

意識を集中させ、巻物に刻まれた文字をじっと見つめる。すると、インクの染みが意思を持つように這い回り、見慣れた言語へとその形を再構築し始めた。

『世界創造より三千二百年。春の祭りを祝うこの日、百の菊が咲き乱れる中で、我々は命の恩人であり母なる御方へ、ささやかな贈り物と永遠の賛美を捧げます』

次々と資料を紐解いていく。

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指先が触れた瞬間、周囲の乾ききった素焼きの板とは全く異なる、ひんやりとした重みを感じ取った。経年劣化による埃の匂いの中にあって、その一枚だけが、まるで微弱な脈動のようにシアン色の魔力を明滅させている。表面に刻まれた、楽しげに踊る人々の意匠。その姿はどこかあの陰気なコンガラを思わせるが、纏っている空気はまるで正反対の、暖かく豊かなものだった。

『魔法とは、創造主の御手より賜りし力なり。その神秘の力を以て、女主の栄光を永遠に称えよ!』ありふれた学術論文の端に、そんな賛美が記されている。

読み進めるほどに、かつてここに存在したであろう人々の営みと、文明の逞しさに引き込まれていく。見つけ出した地図には壮大な都市群が描かれており、その最大のものは、昨日訪れたあの山と同じ座標を示していた。

(これほどの文明が、一体どうしてこんな地獄のような有様に……?)

いくら書物を漁っても、その決定的な答えは見つからなかった。かつて栄華を極め、今や負債と腐敗に沈んだメデアの故郷。それでも、この死に絶えた世界よりは幾分マシに思える。その事実が、胸の奥に冷たい鉛のようなしこりを残した。

不意に、外から響いた凄まじい轟音によって、静寂は破られた。読書を切り上げて中央ホールへ戻ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。

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暖色の松明が揺らぐ石造りの回廊に、不釣り合いなほど重々しい銀色の金属音が響き渡った。拘束の冷たさに身をすくませる小柄な気配と、その横で捕獲者が提げた籠から漂う、むせ返るような生血の鉄の匂い。圧倒的な暴力の痕跡と、か弱さのコントラストが、空間に異様な緊張感を生み出している。

「コンガラ様がおっしゃっていた『蛇の悪魔』の正体ですわ。地獄で見つかった車輪の跡は、この子の自転車のものだったの。蛇と勘違いされた不自然な轍から、捜査の手がかりを掴んだというわけ」小兎姫は、底冷えのするような冷酷な響きでそう告げた。繋がれた少女は、ただ怯えたように床を見つめ、静かに涙をこぼしている。

「明羅殿は……どこにいるのだ?」コンガラの視線が、籠の中で鈍く光る血まみれの刃に向けられる。

「残念ながら、明羅さんは現場で亡くなられていました。私が駆けつけた時には、すでに手遅れでしてよ」

「何だと!? 明羅が……馬鹿な、信じられん!」コンガラが弾かれたように刀を抜く。

「疑問がおありなら、ご自身で現場の山へ行き、確認なさるといいわ。彼女の遺体は今もそこにあります。ところで、コンガラ様がおっしゃっていた悪魔のことですが……この子は悪魔ではありません。けれど、明羅さんをその刃物で刺したのは事実。明羅さんを助けられなかったのは痛恨の極みですが、少なくとも実行犯を逮捕することはできましたわ」

「明羅姉さまが……?」幽霊たちの隙間から、震える声が響いた。カナだ。「そんな……! 誰がこんなことを!」カナは前へ進み出ると、突き刺すような視線を小兎姫へと向けた。「嘘よ! この子の怯えきった空気を感じればわかるわ。明羅姉さまを殺したのは、あなたじゃない! 絶対に許さない!」

激昂から一転、カナは捕らえられた少女の目線に合わせてしゃがみ込み、ひどく甘やかな、静かな声で問いかけた。「お嬢ちゃん。今日、何か悪いことした? お姉さんに教えてくれるかしら」

少女は涙で滲んだ瞳を上げ、言葉を探るように、途切れ途切れの声を絞り出した。「窓付き(まどつき)……だれも……きずつけてない……きずつけてないよ……」それだけを言うと、少女――窓付きは再びうつむき、小さくすすり泣き始めた。

コンガラは深く息を吸い込み、どうにか理性を繋ぎ止めたような硬い声で命じた。「牢獄へ。二人とも連れて行くのだ」

「コンガラ様のお気持ちは痛いほど分かりますわ。私にも動機があると疑われているのでしょう?けれど、私は正義の執行者。そのような卑劣な手段は取りません。明羅さんも私も、正義のために戦っている。ただ、私の指揮下であれば、この軍はより効率的に運用できる……それだけのこと。どうか、証拠に基づいた公正なご判断を」

「申したはずだ。牢獄へ連れて行け。いずれ、真実は明らかになろう」

小兎姫はそれ以上抵抗するそぶりも見せず、兵士たちに囲まれながら優雅な足取りで連行されていく。「ええ、おっしゃる通りですわ。真実は必ず明らかになる。コンガラ様もいずれ、私が適任であると理解なさるはずですもの」

幽霊兵士たちの列の最後尾につき、メデアも地下牢へと続く階段を下りた。冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。鉄格子の向こうで、殺人鬼の汚名を着せられた少女が静かにすすり泣き、反対側の牢では、小兎姫がまるで自分の部屋にでもいるかのように平然と腰を下ろしている。騒ぎを見届けた幽霊たちは無言で持ち場へ戻り、コンガラも重い足取りで上階へと姿を消した。

(明羅は本当に死んだのかしら? 一体なぜ。そして、真犯人は誰……?コンガラの信頼を勝ち取るには、絶好の機会ね。密かに独自調査を進めるべきか、それとも恩を売るために協力を申し出るべきか……)

地下牢の冷たい石壁に背を預け、メデアは暗がりの中で静かに思考を巡らせた。